私の人生を生きるために

50代になり、毒親育ちだったと気づいた人のブログ

電話に出てしまった

ナンバーディスプレイの手続きをしていないので、4月終わりに最後に母と電話で話して以来、自分が 家にいる時は電話のジャックを抜いて暮らしている。
電話が怖いのだ。

そして自分が不在の時だけ、電話をつなげ留守番電話にする。本当に用事がある人なら留守番電話にメッセージを残すだろう…とても不便だが、電話が鳴る音すら怖いので、このようにしている。

たまに電話線を抜き忘れている時に電話が鳴ってしまう。電話に出ることも出来ずじっとしていると、留守番電話に切り替わる。その瞬間荒々しく電話を切る音がすれば、おそらく母からの電話だ。
何回かあった。用事があるならメッセージを残せばいいのに、バシッと切る。

…そして今日の夕方だ。
実は今日は一度電話が鳴り、留守番電話になった途端に荒々しく切ると言うのが一度あった。そして、再度電話が鳴った。1回目の電話でジャックを抜くのを忘れていたのがわかったのに、再びジャックを抜くのを忘れたのだ。

息子が家に帰ってきていたので、鳴っている電話に私が出ないのは不自然だ。仕方ない。母からの電話ではないかもしれない。

…受話器をとった。


「あらっ!やっと出たわ。ずーっとかけていたのに出ないんだから!」
予想どおりの言い方。母だった。
ずっと電話に出なかったのは、娘が何か負の感情をもっているからだということくらいはわかっているだろう。何しろ私は母との最後の電話でキレて会話途中で電話を切ると言う、母の往年の得意技をやったのだから。
(私が小さな子どもの頃、母は父の職場に電話をかけて、豊田真由子議員のように怒鳴りちらし、受話器を荒々しく置くと言う技を何度もやっていた。行動が松居一代そのもの)

「久しぶりね」とか「元気だった?」とか、そんな言葉があの母から出るわけないのはわかってたけど、
私が今まで電話に出なかったのを軽くなじるような口調でしか、久しぶりの第一声を発することができない母親の言い方に、予想どおりとは思いながらも、人間性の貧弱さを感じてしまった。

母の次の言葉は、「息子がどうしているか?」と言う質問だったので、その場にいた息子に受話器を渡して、私はトイレに籠城してしまった。

まだ母と電話で会話することができるほど、私の心は穏やかではない。
ふとした瞬間に、過去の母の言葉を思い出し、怒りがこみ上げてたまらないのだ。
母の人間性に対し、とめどない不信感が湧き上がってしまい、こみ上げる悔しさを自分で抑えることができないのだ。

電話にでなければよかった。
今まで出なかったことをなじられるだけなら、なんの救いもない。
いや、心の中を素直に表せないだけかもしれない。
でも、今の私はそこまで回り込んで、理解してあげるほどの余裕はない。
と言うより、今までずっと、回り込んで回り込んで解釈してきた結果、母はあのような言い方で良いと思い込み、あのような言い方しか出来ない人になってしまったのではないだろうか。

ありがとう、ごめんね、が決して言えない人。
人を褒めることが決して出来ない人。
自分の正当性ばかり主張する人。

哀しい。


一つ救われることは、私の子ども達が
「ありがとう」を自然に言えることだ。
(そして、その言葉を聞くと驚いてしまう自分に驚く。)

負の連鎖が起きずに、普通の良い子に育ってくれて、ありがとう。
こんなお母さんでごめんね。



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