私の人生を生きるために

50代になり、毒親育ちだったと気づいた人のブログ

父との連絡手段と母の正当性

実家は少し前に建て替えを行い、総二階の家になった。二世帯対応仕様である。しかし、この家の現在は、二階で暮らす父、一階で暮らす母という<変則型二世帯住宅>、平たく言えば家庭内別居の状態となっている。
キッチン、風呂は一階にしか作られていないため、食事風呂という最小限度の用事の時にだけ、父は一階に降りてくる。

一階には、(大して使えもしないのに)母のためにWi-Fiが引いてある。
父は、以前は頭脳職であり現在もパソコンを常用するが、同じ家の中なのに、母が引いたWi-Fiを使わせて貰えない(意地悪にもほどがある)。

電話も一階にあるだけ。

子供達の発表会、文化祭などに実家の親を招待するときなど、家に電話をかけると母が出る。
父には伝言を絶対に伝えてくれない。

なので父に用事がある時には、敢えて「お父さんは?」と、父に電話口に出て貰うように母に言ってみる。

「知らないわよ」
「いないの?お父さんに電話かわってくれる?」

この会話、不自然ですか?失礼ですか?

「…………(怒鳴り口調で)、めんどくさいな、もう!」
と叫んで、一階から大声で二階の父に
「でんわ!」
と叫ぶ。


父と電話で話すだけのことでも、その前に心臓が凍りそうな厳しい母の空気と口調を味わわなければならない。

この手続きをしないで、誰かの発表会へ行く待ち合わせを母とすると、案の定父には伝らず、
母は1人でオシャレをして、いそいそと来る。

孫だからもういいや、と私も面倒なのでそのままにしてしまう。

私や私の妹、弟は、せっかく両親揃った家庭に育ちながら、逆にあんな両親だったからこそ、その間に立たされて窮屈で嫌な思いをたくさんしてきたのだ。

母は、子どもが父と母から生まれたことがわからないのだろうか。

母は私が子どもの頃からよく父の悪口を聞かせてくれたけど、子どもは自分の半分が否定される思いをするのだ。何故そこが母にはわからないのだろう。
子どもは必ず母の、母だけの味方になると思っているのだろうか。
いや、母にしてみれば、自分が絶対に正しくて、父は悪人なのだ。だから、正義は常に勝つから、父の悪口を言っても構わないし、子どもは正義の味方の母の味方になるべきだという思考回路だったんだろう。

考えてみれば単純な話でもある。


毒親というのは、全か無か、という価値観らしい。
それだ。

母にとっては、母自身が、母の考えが、
宇宙の絶対真理のごとく、あるいはそれを凌駕するほど「正しい」のです。それに比べれば、父なんて「無」みたいなものなのです。

母の正しさは、「妥当」とか、「適当」とか、そんな甘いものではい。
誰も逆らわせない「絶対的な正しさ」なのです、当人にとっては。
お疲れ様である。

しかし、この絶対真理には、

内心の自由、思想信条の自由、言論の自由プライバシー権の保証など、近代的な価値観は全く含まれていない。そんなこと、夢にも思ってないだろう。愚である。

そんな、「絶対的正義」の母は、
父を罵倒しても、
父に暴力をふるっても、
娘が、悪い男(本当は母が気に入らないだけ)と付き合ったら娘をアバズレと罵って殴っても、
父のために(面倒だから母に言わずに)病院に付き添ったのがばれたら、電話口で金切り声で娘を罵倒し続けても、
全ては、「正義のため」に許される行為であると、
果てしなく独善的で暴力的、衝動的な行動の正当性を、自らの「正義」に論理的根拠を求めながら、喚き、暴れるのである。

思い出して、疲れました。





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