私の人生を生きるために

50代になり、毒親育ちだったと気づいた人のブログ

悪いことなんてしていない

話が少し飛んで、大学生の頃の話です。

家の中は、常に母の価値観で物事が支配されていた。 視野の狭い、世間離れした、独善的な価値観である。 そして、庶民のくせに、自分と自分の家族は、世の中のどの家族よりも偉いという、根拠のない虚栄心に満たされていた。

父は存在感を消し、時々母を激高させては、さらに存在感を消して暮らしていた。

父に対する母の憎悪は、自分がもっと格上の人と結婚するべきだったという、根拠のない虚栄心から、相手を見下し、不満を爆発させるというものだったのだろう。

母が持つ、父への憎悪ともいうべき、満たされない感情は、長女である私への支配という形となって顕れた。

私は、母の虚栄心を満たすために、ひたすら良い成績を取ることを強制された。

自分の家だけが、何故このように勉強勉強と勉強を強制するのだろう、と不思議でならなかったが、従うしかなかった。

家から出たいと無意識のうちに常に思っていた。

母に甘えた記憶がない。 父には甘えたが、これは別の次元でまた忌まわしい記憶と重なる。これは割愛。

初めて付き合った彼から、遠い昔の記憶を呼び覚ます、人の肌の温もりを感じた。 私は、人の肌の温かさを幼児期以来感じずに、特に母からは全く感じずに成長したことに気づいた。

厳しい叱責、勉強への強制ばかりで、温かく抱きしめられたことがない。

私が一番欲しかったのは、この、人の体温だったんだとその時わかった。

渇望する思いと、人付き合いの方法のわからなさのために、その彼にしがみつきすぎて、別れた。

泣いた。家族には言えなかった。

2年後また新しい彼が出来た。 卒業したら、この人と結婚して、家を出たいと強く思った。 しかし、この時、うかつにも机の上に置きっぱなしにしていた日記を、母に読まれてしまう。

叱責に次ぐ叱責。 家の中に閉じ込められた。

両親は、私に隠して彼に会ったらしい。

繊細な年齢である。 卒業を控え、その先の人生にナーバスな時期でもあった。そんな時に、土足で心に踏み込むようなことをされたら、壊れてしまう。 いや、壊されてしまう。壊そうとして、壊したのだ。

彼とはうまくいかなくなった。

子どもの交際に親が口を挟んでいいのか?と内心思った。 子どもの日記を勝手に読んでいいのか?とも思った。

親が子どもの日記を読んで何が悪い?と、聞きもしないのに言われた。

違うと思ったが、言えばなおさら潰される。 やり過ごすのが一番早い、ということは、よくわかっていたので、黙っていた。

男性が多い大学だったから、仲の良い男性の先輩もいた。本当に男女の感情なんて一切なくて、ただの良い先輩だったのに、母は私の主張を絶対に聞いてくれず、その先輩のところにも多分怒鳴り込んだと思う。 恥ずかしい親だ。

私は、彼と付き合ったことが、とてつもなく悪いことだったのだと思った。思わされた。

本当は、ちっとも悪くないんだよと、あの頃の傷ついた私に言ってあげたい。

社会に出て、お見合いや縁談があっても、過去の男のことはおくびにも出さないのが正解。カマトトぶるのが正解。だって、母親はそうしろと言わんばかり。

私の交際に、いちいち母は口を挟んだ。 もう、とっくに成人なのに。

ごめんね、今までの私。もっと自分に自信を持って、母を撃退するべきだった。

私を彼に駆り立たせたのは、他でもない、母親が作った重苦しい家の雰囲気と、長女に対する過度な干渉から逃れたいという心からだったのだ。

…なんでこんな簡単なことに気づかずに、自分を偽って、あの頃、彼を大好きだった気持ちまで否定して生きてきたんだろう。

私は何も悪いことをしていないのに…


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