私の人生を生きるために

50代になり、毒親育ちだったと気づいた人のブログ

手芸部

小学校の高学年になると、クラブ活動が始まる。 いろいろなクラブを見に行き、私は「手芸部」が気に入った。 何人かのクラスの女子も手芸部に入った。 かぎ針で、鎖編み、長編みを覚えた。 鎖編みを少し作り、輪っかにして、そこから円状に長編みをすると小…

小学4年生 〜 受験勉強開始(させられる)

今でこそ中学受験は首都圏では、それほど珍しいことでもなくなったが、あの頃は塾に行くだけでもイジメの的になりうるくらい、珍しいことだった。実際に、塾に行っていたために、「塾に行ってるか、白状しなさいよ」などと、クラスメートから言いがかりをつ…

電話に出てしまった

ナンバーディスプレイの手続きをしていないので、4月終わりに最後に母と電話で話して以来、自分が 家にいる時は電話のジャックを抜いて暮らしている。 電話が怖いのだ。そして自分が不在の時だけ、電話をつなげ留守番電話にする。本当に用事がある人なら留守…

母とそっくりな有名人を見つけました

仕事等忙しく、更新滞っていますが、最近、母とそっくりな母親、そっくりな妻を有名人でみつけました。 母とそっくりな母親は、豊田真由子議員です。 お子さん小さいイライラというにはやることが派手すぎ、相手を馬鹿にし、人の痛みがわからない。そっくり…

一番可哀想なのは、あの時の私だ

ブログを書くようになってから、昔のことを思い出すようになった。 はじめは時系列に書こうと思っていたが、思い出すのは強烈な順番だ。今、私が一番可哀想だと思うのは、何度か既に書いているが、大学卒業のころの私だ。 失恋させられた、引き裂かれた私で…

小学3年生の頃

担任は破天荒な独身の男性だった。 いかにも母がバカにする、熱血タイプだ。 この頃から、学校の先生に対しての母の批判が始まった。 私が、自分の職業選択の中で教員を全く選ばなかったのは、母が「先生というものはバカだ」というトンデモナイ固定観念を私…

では、母は父を愛していたのか?

夫婦のことは、たとえ子供でもわからない。 当事者にしか、わからない。 (いや、ひょっとすると、本人たちもわかってないんじゃないかと思う。) この「諦めの法則」を 私は社会人になってから、ようやく「発見」した。それまではぼんやりと、「仲の悪い両親…

最高裁判所長官より偉い母

このタイトル、冗談ではない。母の決めた(偏った)「基準」は子どもの頃のわが家では日本国憲法より上位に位置し、 母の判断・見解・憶測…は最高裁判所の判断よりも拘束力があるようだった。 つまり、母は最高裁判所長官より偉い。そして、母の「考え」は、最…

父との連絡手段と母の正当性

実家は少し前に建て替えを行い、総二階の家になった。二世帯対応仕様である。しかし、この家の現在は、二階で暮らす父、一階で暮らす母という<変則型二世帯住宅>、平たく言えば家庭内別居の状態となっている。 キッチン、風呂は一階にしか作られていないた…

ありがとうございます

母との間に今までも確執があり、それでもなんとか親孝行しようと思ってきましたが、 冷たい言葉を浴びせられ、今回ばかりは腹に据えかねていたところです。 毒親という言葉は聞いたことがある程度でしたが、娘から指摘されてハッとし、調べてみたところ、今…

繰り返される夜中の夫婦喧嘩

小さい頃は平屋に住んでいて、一番奥の畳の部屋に布団を4、5枚敷いて家族で寝ていた。夜中に甲高いはげしい口調の声で目が覚めることが時々あった。夫婦喧嘩である。時々、廊下を足音を忍ばせて歩き、 両親が喧嘩をしている「茶の間」を覗きに行った。両親は…

掛け算

話を元の流れに戻します。多分話は、過去と現在を、行ったり来たりすると思います。2年生になると、掛け算が始まった。 そのあと猛烈な教育家庭になるわが家では、 掛け算は当然「特訓」だった。 2年生の担任は独身の女の先生。 掛け算九九の表を毎日時間を…

あんた、おかしいんじゃない?ほらやっぱりあんたおかしいわよ。

クルマの運転をやめ、買い物難民となってしまった実家のために、 頼まれもしないのにクルマを出して買い物に連れて行くようになった。 向こうから頼んでくることは、最後の一回を除いて、多分無かったと思う。 最後の一回は、決別の一回になったが、それは別…

悪いことなんてしていない

話が少し飛んで、大学生の頃の話です。 家の中は、常に母の価値観で物事が支配されていた。 視野の狭い、世間離れした、独善的な価値観である。 そして、庶民のくせに、自分と自分の家族は、世の中のどの家族よりも偉いという、根拠のない虚栄心に満たされて…

鈴木先生

一年生の先生は、年配の男性の鈴木先生。 優しい先生だったことしか記憶にない。 母は、鈴木先生との面談で、わが子が長ずると優秀になると言われたと言って相当喜んでいた。 このセリフは、このあと何年も繰り返し引用され、母の自慢の一つとなった。 毒親…

ピカピカの小学生

おねしょは止まらなかったが、小学生になる日が近づいてきた。風邪をひいて家で寝込んでいた私に、母はどこからか、ピカピカの真っ赤なランドセルを買ってきてくれた。叔父からは、犬のデザインの文具セットをもらい、とても嬉しかった。 小学生になり、通学…

弟が生まれた

5歳になる直前、弟が生まれた。 わが家待望の男の子である。 不思議な生き物を、私と妹は珍しく見ていた。 この頃から、わたしはすでに「お姉ちゃんなんだから」と言われ、自覚していた記憶がある。 おねしょが止まらなかった。 妹は、両親の気をひくために…

幼稚園の思い出 3 〜 ともこちゃんの思い出

今考えると、幼稚園時代の私はチビで、ものすごく人見知りの引っ込み思案だった。 近所に住む大柄のともこちゃんは優しくてお姉さんのような存在だった。 6人で座る大テーブルの左隣はともこちゃん、右隣は空席、前には男の子が3人座っていた。 年長さんのあ…

幼稚園の思い出 2 〜 太い閂

幼稚園に着いても泣いていた。原因は思い出せない、というより、そんなものはなかったのかもしれない。 園の入り口の重い扉が閉ざされ、太い閂が左右の扉を貫いて重くかけられていた。 「これを持ち上げられるなら、帰っても良い」と若い先生が言う。 うそだ…

幼稚園の思い出 1 〜 行きたがらない子

幼稚園に行きたがらない子だった。 家から園バスが来る火の見やぐらの下までの数分の道を、母とヨチヨチ歩きの妹に送られて行く。 幼稚園のお友達が4人くらい、同じ火の見やぐらの下からバスに乗る。 初日は、M子ちゃんと私が泣いた。 そのあとは、私だけが…

自分自身のこと

50代女性、既婚、成人子供が2人 首都圏暮らし。 両親2人暮し、妹家族、弟家族、それぞれ首都圏に住む。 50代に入り、自分が毒親育ちであることに気づき、いまだに実母からの毒に悶々としている。 毒親には、自分が辛い思いをしてきたことを伝えたほうが良…

初めの記憶

初めの記憶は3歳になる少し前である。 夜中に母親に起こされ、父の運転するスバルの後部座席に寝かされた。後部座席がとてもせまかったのを覚えている。 母はどこかで車を降りた。 次の日だったか、昼間、病院に行くと、寝ている母の白いベッドの傍に小さな…