私の人生を生きるために

50代になり、毒親育ちだったと気づいた人のブログ

最高裁判所長官より偉い母

このタイトル、冗談ではない。

母の決めた(偏った)「基準」は子どもの頃のわが家では日本国憲法より上位に位置し、
母の判断・見解・憶測…は最高裁判所の判断よりも拘束力があるようだった。
つまり、母は最高裁判所長官より偉い。

そして、母の「考え」は、最終の、ひっくり返すことのできない最高裁判決である。



例えば…、空気みたいな父。
あんな顔がモテるわけがない。
それなのに、母はたびたび父の浮気を疑った。
疑う=犯罪確定=逮捕拘束=精神的死刑判決である。

父は食事を与えられず、職場に怒鳴り声のワン切り電話をかけられ、物を投げられ(怪我で病院に運んだこともある)、つかみかかられ、罵られ、絶対服従と子どもたちの前で言われ、親戚に言いふらされ…
すごいDVだ。

父はモテるわけがないのだ。
でも、普段からギリギリ、ギャーギャー喚き散らす母から心が離れても(どうせお見合い結婚だし)、なんの不思議もない。
よくぞあそこまで耐えたものである。
さすが、究極の事勿れ主義である。
あきれたものだ。





母の「絶対に正解な」考えに、子どものころは翻弄された。

例えば、
昔のプロ野球の日本シリーズ。
母によれば、あれは「八尾長」である。
勝ち負けが決まらずになるべく最終日まで引っ張れば儲かるから、「談合」して勝ち越さないように程々に勝ち負け均衡させているに違いない!
と母は得意げに最高裁判決を子どもたちに披露していた。
わが家の最高裁判所長官最高裁判決であるから、子どものころはこのようなことを、たくさん信じていた。





そして、この最高裁判所長官は、娘が成長して女らしくなることに嫌悪感をさらけ出してきた。
年頃の娘はおしゃれしたい。かわいい服を着たい。
しかし、「そういうもの」はくだらないんだそうだ。
清廉潔白、質実剛健、武士道…みたいな価値観で娘が色気づかないように、慎重だった。
着る服も、いわゆる清楚系を着るようにと最高裁長官はおっしゃった。
そうすれば、最高裁判所長官のお眼鏡にかなう、いわゆる3高の男が婿になる、という作戦だった。

全部、最高裁判決に従ったものね。
父が最高裁長官の気にくわない行動で死刑にあってるのを見てるから、従わざるを得ないわね。
恐怖政治。
三権集中。独裁政治。暴君ネロ。

ネロは今でもネロである。


若い頃、暴君ネロに荒らされた私の心に、最近ようやく花が咲き始めたところだったのに、
暴君はまた土足でやって来て、花を蹴散らし、蕾を摘もうとした。

暴君にとっては、私が花を咲かせることが我慢ならないのである。
最近の暴君は、私を蔑み否定する言葉を少しずつ、少しずつ、吐き出すようになっていた。
そろそろ満水だと思った。
案の定、暴君ネロのダムは決壊し、私に死刑判決を下してきた。

許せない。

母が、娘である、この私に、最も言ってはいけない言葉だった。

フラッシュバックする思い。

永遠に理解されない私の願い。
死ぬまで否定し続けるつもりだろう。

許せない。


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父との連絡手段と母の正当性

実家は少し前に建て替えを行い、総二階の家になった。二世帯対応仕様である。しかし、この家の現在は、二階で暮らす父、一階で暮らす母という<変則型二世帯住宅>、平たく言えば家庭内別居の状態となっている。
キッチン、風呂は一階にしか作られていないため、食事風呂という最小限度の用事の時にだけ、父は一階に降りてくる。

一階には、(大して使えもしないのに)母のためにWi-Fiが引いてある。
父は、以前は頭脳職であり現在もパソコンを常用するが、同じ家の中なのに、母が引いたWi-Fiを使わせて貰えない(意地悪にもほどがある)。

電話も一階にあるだけ。

子供達の発表会、文化祭などに実家の親を招待するときなど、家に電話をかけると母が出る。
父には伝言を絶対に伝えてくれない。

なので父に用事がある時には、敢えて「お父さんは?」と、父に電話口に出て貰うように母に言ってみる。

「知らないわよ」
「いないの?お父さんに電話かわってくれる?」

この会話、不自然ですか?失礼ですか?

「…………(怒鳴り口調で)、めんどくさいな、もう!」
と叫んで、一階から大声で二階の父に
「でんわ!」
と叫ぶ。


父と電話で話すだけのことでも、その前に心臓が凍りそうな厳しい母の空気と口調を味わわなければならない。

この手続きをしないで、誰かの発表会へ行く待ち合わせを母とすると、案の定父には伝らず、
母は1人でオシャレをして、いそいそと来る。

孫だからもういいや、と私も面倒なのでそのままにしてしまう。

私や私の妹、弟は、せっかく両親揃った家庭に育ちながら、逆にあんな両親だったからこそ、その間に立たされて窮屈で嫌な思いをたくさんしてきたのだ。

母は、子どもが父と母から生まれたことがわからないのだろうか。

母は私が子どもの頃からよく父の悪口を聞かせてくれたけど、子どもは自分の半分が否定される思いをするのだ。何故そこが母にはわからないのだろう。
子どもは必ず母の、母だけの味方になると思っているのだろうか。
いや、母にしてみれば、自分が絶対に正しくて、父は悪人なのだ。だから、正義は常に勝つから、父の悪口を言っても構わないし、子どもは正義の味方の母の味方になるべきだという思考回路だったんだろう。

考えてみれば単純な話でもある。


毒親というのは、全か無か、という価値観らしい。
それだ。

母にとっては、母自身が、母の考えが、
宇宙の絶対真理のごとく、あるいはそれを凌駕するほど「正しい」のです。それに比べれば、父なんて「無」みたいなものなのです。

母の正しさは、「妥当」とか、「適当」とか、そんな甘いものではい。
誰も逆らわせない「絶対的な正しさ」なのです、当人にとっては。
お疲れ様である。

しかし、この絶対真理には、

内心の自由、思想信条の自由、言論の自由プライバシー権の保証など、近代的な価値観は全く含まれていない。そんなこと、夢にも思ってないだろう。愚である。

そんな、「絶対的正義」の母は、
父を罵倒しても、
父に暴力をふるっても、
娘が、悪い男(本当は母が気に入らないだけ)と付き合ったら娘をアバズレと罵って殴っても、
父のために(面倒だから母に言わずに)病院に付き添ったのがばれたら、電話口で金切り声で娘を罵倒し続けても、
全ては、「正義のため」に許される行為であると、
果てしなく独善的で暴力的、衝動的な行動の正当性を、自らの「正義」に論理的根拠を求めながら、喚き、暴れるのである。

思い出して、疲れました。





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ありがとうございます

母との間に今までも確執があり、それでもなんとか親孝行しようと思ってきましたが、
冷たい言葉を浴びせられ、今回ばかりは腹に据えかねていたところです。
毒親という言葉は聞いたことがある程度でしたが、娘から指摘されてハッとし、調べてみたところ、今までの疑問が一気に氷解した気がしました。

自分の生育した環境は「毒親家庭」だったということにようやく気づきました。
子どものころから抱いていた違和感の正体はこれだったのか!
私は自分に必要以上の、過度の罪悪感を持って人生を送ってきてしまった。むしろ、罪悪感を抱くような悪いことなどまったくしていなかった。
それどころか、健全な家庭に育った子以上に、今までの人生、親に対して神経をすり減らし、親への忠誠を砂で城を築くように崩れては積み重ね崩れては積み重ね…してきたのではないだろうか?

この気づきにより、頭の中を様々な記憶や想いが駆け巡るようになりました。これらを、ブログを書くことによって整理しようと思い、非公開記事にまとめてきました。
私の想いはもしかしたら、他の誰かに重なるものがあるかもしれないと考えるに至り、非公開で書いたものを少しずつ公開記事に切り替えながら、その都度思ったことも新しく加えるようにしていきたいと思います。そのために話が前後することがあると思います。

コメント欄もあけてみました。コメント欄については、随時、閉じたり開けたりしていこうと思います。

私は専門家でもなんでもありません。むしろ気づくのが遅すぎるくらい鈍感な人です。
なので、ブログは専門的な話ではなく、あくまでも自分の個人的な記憶の整理のための記述です。
高齢の母と今後どのように向き合えばよいのか、その道を模索するための、心の整理の記録です。
もしも、想いを同じくする方がいらっしゃって、このブログを読むことにより少しは心を軽くしていただけたら、それだけで十分です。


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繰り返される夜中の夫婦喧嘩

小さい頃は平屋に住んでいて、一番奥の畳の部屋に布団を4、5枚敷いて家族で寝ていた。

夜中に甲高いはげしい口調の声で目が覚めることが時々あった。

夫婦喧嘩である。

時々、廊下を足音を忍ばせて歩き、
両親が喧嘩をしている「茶の間」を覗きに行った。

両親はコタツを挟んで対面で座り、母はコタツの板を激しく父の胸にぶつけるように押しながら、叫んでいる。

内容はわからないが、一方的にまくし立てる母の鬼の形相は私を震え上がらせた。

妹と弟よりも年長の私は、彼らよりもたくさんこの夫婦喧嘩に気づき、暗い気持ちで暮らしたと思う。

夫婦喧嘩はその後も現在まで果てしなく繰り返されている。

幼い頃の子どもにとって、両親の激しい喧嘩は自分の存在を否定し、脅かすものである。

しかも一番上の子は、「両親の危機的状況」のたびに下の子を守らなくてはと思うのだ。

そのために、喧嘩の最中に割り込んだり、母に謝ってみたり、仲裁もどきのことをしたり、
自分を犠牲にして、自分をピエロにして、
家庭の平和のために動くものなのだ。

たぶん、その方法は間違っていたと思う。
でも、それ以外の方法って何?

どうすれば、お母さんとお父さんは仲良くしてくれるの?

お母さんは、私にお父さんの悪口ばかり言うけど、子どもからみたらどちらも親なんだよ?
どうしてそれがわからないの?

子どもの頃に感じた溢れる想いは、今でも鮮やかに蘇る。そして、基本的には今でも同じ想いなのだ。


「ほんとうは別れたほうがいいと思うわ。でも、離婚したら、あなたたちに迷惑がかかるでしょ。だからあなたたちのために、離婚はできないの」

この言葉に、父を憎んだ 。

でも、違う。

これは、毒親が私を封じ込めるための、無意識のトラップである。

そんなことわからなかったよ。


今は、いっのこと離婚してくれたらいいと思う。
が、あまりに高齢でそのエネルギーもないんだろう。



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掛け算

話を元の流れに戻します。

多分話は、過去と現在を、行ったり来たりすると思います。




2年生になると、掛け算が始まった。

 

そのあと猛烈な教育家庭になるわが家では、

掛け算は当然「特訓」だった。

 

2年生の担任は独身の女の先生。

掛け算九九の表を毎日時間をはかって、埋めさせた。

「クラスで1番をとりなさい」と言われていたので、当然毎日1番をとった。無邪気なものである。

 

 

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あんた、おかしいんじゃない?ほらやっぱりあんたおかしいわよ。

クルマの運転をやめ、買い物難民となってしまった実家のために、 頼まれもしないのにクルマを出して買い物に連れて行くようになった。 向こうから頼んでくることは、最後の一回を除いて、多分無かったと思う。 最後の一回は、決別の一回になったが、それは別の機会に。

頼まれもしないが、買い物リストは作って待っている。行こうか?と誘うと、その日は用事が…などと勿体つけながら、一緒に行ってやってもいいという態度。ありがとうの一言もない。それもまあいい。というか、それがごく自然なんだから、救いようがない。

私は更年期だ。 いつホットフラッシュがくるかわからない。 買い物の最中、その後入った昼ごはんのお店などで、突然暑くなることもあった。

「暑くなってきたわ…」 これだけでは、攻撃されると思い、慌てて言葉を継ぎ足す。 「最近、高校の同級生で集まった時もね、1人の子が、今暑い?寒い?わからないわ」なんて言っていて、そういう年頃なんだなと思う」

母の反応は、継ぎ足した言葉はスルーして、 「あんた、おかしいんじゃない?」

この、「あんた、おかしい」ということばは、 “母が私に投げかけるお気に入りの言葉"なのである。

油断するとすぐ多用する。

私だって、うっかり何かを忘れることがある。

これが母の前だと、即座に 「ほら、あんた、やっぱりおかしいんじゃない?」 と、絶好の攻撃チャンスとなってしまうのだ。

それだけではない。

私が母の理解を超える専門的な内容の話でもしようものなら(母に対してそんな話は絶対しないが、親戚などで話が通じる人がいると、母が聞こえる距離でしてしまうこともあるのだ)、

(母に理科できないようなことをいつまでもやっているなんて) 「あんた、やっぱりちょっとおかしいのよ」

プラス

「私(母)がおかしいと言ってあげないと、他に言ってあげる人がいないからね、あなたのためよ。」

今ならわかる。 これは、 「典型的な毒母」の吐く台詞である。

あなたのためなんて言いながら、 それは母の娘に対する嫉妬心以外の何物でもない。

私、55歳 母、85歳 である。

いきなりこの状態なら痴呆症かもと思うが、少なくとも私の記憶のある、この50年間ずっとこうですから、

これは、毒母というのが適切だと思う。


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悪いことなんてしていない

話が少し飛んで、大学生の頃の話です。

家の中は、常に母の価値観で物事が支配されていた。 視野の狭い、世間離れした、独善的な価値観である。 そして、庶民のくせに、自分と自分の家族は、世の中のどの家族よりも偉いという、根拠のない虚栄心に満たされていた。

父は存在感を消し、時々母を激高させては、さらに存在感を消して暮らしていた。

父に対する母の憎悪は、自分がもっと格上の人と結婚するべきだったという、根拠のない虚栄心から、相手を見下し、不満を爆発させるというものだったのだろう。

母が持つ、父への憎悪ともいうべき、満たされない感情は、長女である私への支配という形となって顕れた。

私は、母の虚栄心を満たすために、ひたすら良い成績を取ることを強制された。

自分の家だけが、何故このように勉強勉強と勉強を強制するのだろう、と不思議でならなかったが、従うしかなかった。

家から出たいと無意識のうちに常に思っていた。

母に甘えた記憶がない。 父には甘えたが、これは別の次元でまた忌まわしい記憶と重なる。これは割愛。

初めて付き合った彼から、遠い昔の記憶を呼び覚ます、人の肌の温もりを感じた。 私は、人の肌の温かさを幼児期以来感じずに、特に母からは全く感じずに成長したことに気づいた。

厳しい叱責、勉強への強制ばかりで、温かく抱きしめられたことがない。

私が一番欲しかったのは、この、人の体温だったんだとその時わかった。

渇望する思いと、人付き合いの方法のわからなさのために、その彼にしがみつきすぎて、別れた。

泣いた。家族には言えなかった。

2年後また新しい彼が出来た。 卒業したら、この人と結婚して、家を出たいと強く思った。 しかし、この時、うかつにも机の上に置きっぱなしにしていた日記を、母に読まれてしまう。

叱責に次ぐ叱責。 家の中に閉じ込められた。

両親は、私に隠して彼に会ったらしい。

繊細な年齢である。 卒業を控え、その先の人生にナーバスな時期でもあった。そんな時に、土足で心に踏み込むようなことをされたら、壊れてしまう。 いや、壊されてしまう。壊そうとして、壊したのだ。

彼とはうまくいかなくなった。

子どもの交際に親が口を挟んでいいのか?と内心思った。 子どもの日記を勝手に読んでいいのか?とも思った。

親が子どもの日記を読んで何が悪い?と、聞きもしないのに言われた。

違うと思ったが、言えばなおさら潰される。 やり過ごすのが一番早い、ということは、よくわかっていたので、黙っていた。

男性が多い大学だったから、仲の良い男性の先輩もいた。本当に男女の感情なんて一切なくて、ただの良い先輩だったのに、母は私の主張を絶対に聞いてくれず、その先輩のところにも多分怒鳴り込んだと思う。 恥ずかしい親だ。

私は、彼と付き合ったことが、とてつもなく悪いことだったのだと思った。思わされた。

本当は、ちっとも悪くないんだよと、あの頃の傷ついた私に言ってあげたい。

社会に出て、お見合いや縁談があっても、過去の男のことはおくびにも出さないのが正解。カマトトぶるのが正解。だって、母親はそうしろと言わんばかり。

私の交際に、いちいち母は口を挟んだ。 もう、とっくに成人なのに。

ごめんね、今までの私。もっと自分に自信を持って、母を撃退するべきだった。

私を彼に駆り立たせたのは、他でもない、母親が作った重苦しい家の雰囲気と、長女に対する過度な干渉から逃れたいという心からだったのだ。

…なんでこんな簡単なことに気づかずに、自分を偽って、あの頃、彼を大好きだった気持ちまで否定して生きてきたんだろう。

私は何も悪いことをしていないのに…


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