私の人生を生きるために

50代になり、毒親育ちだったと気づいた人のブログ

手芸部

小学校の高学年になると、クラブ活動が始まる。

いろいろなクラブを見に行き、私は「手芸部」が気に入った。

 

何人かのクラスの女子も手芸部に入った。

かぎ針で、鎖編み、長編みを覚えた。

鎖編みを少し作り、輪っかにして、そこから円状に長編みをすると小さな丸い形になる。

その外側に目数を増やして長編みをすると、同心円状に大きな丸い形ができる…わくわくする!

ある程度円が大きくなったら、今度は減らし目をしていくと、まあるいボール状になる…そしてまた増やし目でふくらませる…

減らし目した部分は首のところ、その前のまあるいボール状のところは「顔」だ。顔には後から、黒い糸で目を、赤い糸で口を作ってあげた。別の黒毛糸でポンポンをつくり、髪の毛にしてあげた。

スカートの部分には、時々別の色の毛糸を使い、女の子の人形を作った。満足度はイマイチだったけど、モノをつくる楽しさを味わうことがらできた。

 

手芸用品はきらびやかで、女の子の心をくすぐる!

 

手芸部が大好きだった。

 

しかし、6年生になる時、母に「あなたは理科部にしなさい」と言われ、「いい子」だった私は、興味のない、男子しかいない理科部に転部した。母は、なぜ理科部と指示したのか?中学受験のための内申書には理科部と書かれている方が、カッコイイからか?

母の見栄か?(たぶん半々だ)

 

今考えると、素直すぎた私がかわいそうだ。ホントは手芸部を続けたかったんだよね?(泣)

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小学4年生 〜 受験勉強開始(させられる)

今でこそ中学受験は首都圏では、それほど珍しいことでもなくなったが、

あの頃は塾に行くだけでもイジメの的になりうるくらい、珍しいことだった。

実際に、塾に行っていたために、「塾に行ってるか、白状しなさいよ」などと、クラスメートから言いがかりをつけられたこともあった。

 

当時は珍しい、中学受験専門の塾に初めて行ったのは、小4の夏である。

母は、私と妹と幼い弟まで引き連れて、塾の夏期講習に私を通わせた。

駅から遠くて大変だった。

塾のテキストの表紙に描いてあった動物の絵をよく覚えている。

 

なぜそんなところに行かされるのかは、理解できなかった。

受験という意味がわからなかった。

しかし、否応なく、中学受験のための勉強が始まった。


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電話に出てしまった

ナンバーディスプレイの手続きをしていないので、4月終わりに最後に母と電話で話して以来、自分が 家にいる時は電話のジャックを抜いて暮らしている。
電話が怖いのだ。

そして自分が不在の時だけ、電話をつなげ留守番電話にする。本当に用事がある人なら留守番電話にメッセージを残すだろう…とても不便だが、電話が鳴る音すら怖いので、このようにしている。

たまに電話線を抜き忘れている時に電話が鳴ってしまう。電話に出ることも出来ずじっとしていると、留守番電話に切り替わる。その瞬間荒々しく電話を切る音がすれば、おそらく母からの電話だ。
何回かあった。用事があるならメッセージを残せばいいのに、バシッと切る。

…そして今日の夕方だ。
実は今日は一度電話が鳴り、留守番電話になった途端に荒々しく切ると言うのが一度あった。そして、再度電話が鳴った。1回目の電話でジャックを抜くのを忘れていたのがわかったのに、再びジャックを抜くのを忘れたのだ。

息子が家に帰ってきていたので、鳴っている電話に私が出ないのは不自然だ。仕方ない。母からの電話ではないかもしれない。

…受話器をとった。


「あらっ!やっと出たわ。ずーっとかけていたのに出ないんだから!」
予想どおりの言い方。母だった。
ずっと電話に出なかったのは、娘が何か負の感情をもっているからだということくらいはわかっているだろう。何しろ私は母との最後の電話でキレて会話途中で電話を切ると言う、母の往年の得意技をやったのだから。
(私が小さな子どもの頃、母は父の職場に電話をかけて、豊田真由子議員のように怒鳴りちらし、受話器を荒々しく置くと言う技を何度もやっていた。行動が松居一代そのもの)

「久しぶりね」とか「元気だった?」とか、そんな言葉があの母から出るわけないのはわかってたけど、
私が今まで電話に出なかったのを軽くなじるような口調でしか、久しぶりの第一声を発することができない母親の言い方に、予想どおりとは思いながらも、人間性の貧弱さを感じてしまった。

母の次の言葉は、「息子がどうしているか?」と言う質問だったので、その場にいた息子に受話器を渡して、私はトイレに籠城してしまった。

まだ母と電話で会話することができるほど、私の心は穏やかではない。
ふとした瞬間に、過去の母の言葉を思い出し、怒りがこみ上げてたまらないのだ。
母の人間性に対し、とめどない不信感が湧き上がってしまい、こみ上げる悔しさを自分で抑えることができないのだ。

電話にでなければよかった。
今まで出なかったことをなじられるだけなら、なんの救いもない。
いや、心の中を素直に表せないだけかもしれない。
でも、今の私はそこまで回り込んで、理解してあげるほどの余裕はない。
と言うより、今までずっと、回り込んで回り込んで解釈してきた結果、母はあのような言い方で良いと思い込み、あのような言い方しか出来ない人になってしまったのではないだろうか。

ありがとう、ごめんね、が決して言えない人。
人を褒めることが決して出来ない人。
自分の正当性ばかり主張する人。

哀しい。


一つ救われることは、私の子ども達が
「ありがとう」を自然に言えることだ。
(そして、その言葉を聞くと驚いてしまう自分に驚く。)

負の連鎖が起きずに、普通の良い子に育ってくれて、ありがとう。
こんなお母さんでごめんね。



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母とそっくりな有名人を見つけました

仕事等忙しく、更新滞っていますが、

最近、母とそっくりな母親、そっくりな妻を有名人でみつけました。


母とそっくりな母親は、豊田真由子議員です。
お子さん小さいイライラというにはやることが派手すぎ、相手を馬鹿にし、人の痛みがわからない。

そっくり。


母とそっくりな妻は、
松居一代さんです。
旦那さんに、自己基準の厳しい嫌がらせ行為を繰り返した(携帯を鍋で煮るとかね)挙句、
愛想尽かされ、外で旦那さんが自分の世界を作ったら、裏切られたとか大騒ぎ。命懸けと大袈裟。ご本人は本気でも、外から見たら正気とは思えない。とにかく大騒ぎして、相手の社会的地位を失墜させる。

そっくり。

このタイプの人間て、ある程度の確率で世の中にいるんですね…



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一番可哀想なのは、あの時の私だ

ブログを書くようになってから、昔のことを思い出すようになった。
はじめは時系列に書こうと思っていたが、思い出すのは強烈な順番だ。

今、私が一番可哀想だと思うのは、何度か既に書いているが、大学卒業のころの私だ。
失恋させられた、引き裂かれた私である。

母は、私の育て方を間違えたと言い、私の前で泣いた。私は寝起きざまに、母に顔面を殴られた。
母は私を軟禁した。アバズレと言った。貶した。なじった。
この世の終わりのような、大騒ぎを繰り広げた。

私は罪悪感に打ちのめされた。
母が介入したことで彼との仲は終わったが、就職を控えて、母に知られていなくても、別れることになっていたかもしれない。そのくらい微妙な時期だった。彼は遠い故郷へ帰り、就職するところだったからである。

私は彼を失うかもしれないという時期に、母に強制的に引き裂かれたのである。

失恋の痛手だけでも辛いはずなのに、なぜか犯罪者、裏切り者扱いで、家の中でもけなされ、罪悪感にも苛まれる。

母は、親に隠れて…とか、裏切った…などと言ったが、一般的に娘に彼がいて、まだ親には紹介する前の段階、というのは、親への裏切りなんだろうか?
彼と親は、同じ座標にいる存在ではない。
彼と付き合うことは、親を裏切ることではない。
その時激しくそう思ったが、おそろしくて言えなかった。
ただただ、罪悪感だけが残った。
私は悪い子だ。
なぜか?それは、母があんなに私を責めるから。だから、きっと私は悪い子だ。

思考停止。

そのまま何十年も経った。

そして、今、ブログを書きはじめたことにより、あの頃のことを一番たくさん思い出してしまい、
あの頃、失恋の辛さも押し込めて、母に従わざるを得なかった若い自分が可哀想で仕方がない。

涙が出てくる。

あの頃の私、好きだった彼を失った私。
社会に出たけど、心の中は真っ暗だった私。
悪い子だと思いこまされ、自分を責めていた私。
これから先、どのように過ごせばいいのか途方に暮れていた私。

家を出たかったのに、そんな能力もなかった。それどころか、厳しい監視の中で社会人生活が始まり、残業さえ、悪いことをして帰宅が遅いのではないかと母に疑われた。

あの頃の、母に怯えきって、失恋の痛手も噛みしめる余裕のなかった自分に逢えたなら
「あなたは何も悪くない。あなたの親は毒親なのだ。早く逃げなさい。」
と言って、抱きしめてあげたい。
私に必要だったのは、束縛ではなく、大きく私を包み込む愛情だったのだ。





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小学3年生の頃

担任は破天荒な独身の男性だった。

いかにも母がバカにする、熱血タイプだ。

この頃から、学校の先生に対しての母の批判が始まった。

私が、自分の職業選択の中で教員を全く選ばなかったのは、母が「先生というものはバカだ」というトンデモナイ固定観念を私に植え付けたからだ(そうやって、母は私の人生の可能性を一つずつ奪っていくのだ)。

 

今でも時々、母はあの先生の話をすることがある。「あれはバカな先生だった」とね。

 

 

 
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では、母は父を愛していたのか?

夫婦のことは、たとえ子供でもわからない。
当事者にしか、わからない。
(いや、ひょっとすると、本人たちもわかってないんじゃないかと思う。)
この「諦めの法則」を 私は社会人になってから、ようやく「発見」した。

それまではぼんやりと、「仲の悪い両親もいつかは仲良くなるんじゃないか?」と淡い希望をもっていたが、それは無理だと悟ったのだ。そして諦めた。

妹にこのことを説いた時、妹が「じゃあこれからずっとこのままなの?」と私に尋ねた可哀想な表情が今でも忘れられない。

前回の記事で書いたが、母は度々(子どもが成人してからも…もしかすると現在も)、父の浮気を疑った。
父は、ブサイクである。あんなおっさんが誰かにモテるわけがないと思うが、事の真相は父にしかわからない。事の真相なんてどうでもよいのだが、とにかく、度々、父の浮気を疑った母は、発狂し、家の中はその度にすさんだ。


以下、盗み聞き(わめき散らしているからご近所も知っていると思うが)の内容であるが、
例えば、こんなことがあった。私が社会人になってからのことである。
ある時父が出張に行った。その出張に浮気が伴っているのではないかと、母が疑った…父にやましいことがあったのかなかったのかわからない
とにかく、母は疑った…なにしろ、家の権力は全て母に集中するわが家である。この時の母は警視総監か何かである。
取り調べは、蟹工船小林多喜二並みの厳しさ(に見えた)。
容疑者(父)の現地でのアリバイ崩しのために、出張中に立ち寄ったお店に、容疑者自ら電話をさせ、「あの時、私は1人でおたくの店に行きましたよね?」という質問(間が抜けている)を、地方の営業中の本屋、レストラン…などなど、どこだかわからないがいろいろなところに電話するのである(あちらの迷惑顧みず)。
この事件は、私が結婚する前の年くらいの出来事である。両親50代…今の私くらいか…(改めて呆れた)。

そして、この事件の時、母は父の人間関係を全て壊した。父の(数少ない)友人も仕事の知り合いも、全てに父の悪口を振りまき、父を「世間的に葬った」(母がこう表現した)。

そして、私にはしみじみとこうつぶやいた。
「お父さんが自殺してくれたらいいのに。」
「本当は離婚したらいいけど、そうしたら、あんたたちに迷惑がかかるでしょ。」
「女には経済力がないから。」

ああ、可哀想なお母さんは、私たち子供のために、離婚したくても離婚できないんだ。
私たちのことを第一に考えて、耐えてくれているんだ。

そう思ってしまった。
その後も離婚しなかったことに度々感謝した。だって孫が遊びに行けるから…


ちがうな…


妹は、発狂する母を見て、私によくこう言った。
「お母さんて、(意外だけど)よっぽどお父さんのことが好きだったんだね」

私もそう思い、そこに救いを求めた。
この母の尋常ではない発狂は、「父に対する愛情」から出たものなんだ。
母は父を愛しているのだ。
そう思うことで、私の心の中で、異常な発狂をする母の実態に目をつぶり、無理やり納得しようとした。




…しかし、違う。
母は父を愛してなんかいない。

母は、自分のプライドを保つために、父を攻め、
世間的に葬るまで、怪我をさせるまで、父を攻め続けただけだ。
すべては、自分のプライドのためだ。

私が、自分の力で何かを始めると、一見ごもっともな理由をつけて悉く潰しにかかってくるのと同じだ。


自分の把握しない世界で誰かと楽しげに過ごす父(母の妄想であっても)。
自分の把握しない世界で何かを楽しそうに始める娘。

母は、自分が把握できない「家族の楽しみ」が許せないのだ。
母のプライドが許さないのだ。

結局、母が愛しているのは自分自身なのだ。他の者は、母に服従すべきなのだ。


母のエベレスト級に高いプライドは、実は、母のコンプレックスの裏返しなのではないか?と最近になって思う。

家族が自分を越えるのは許せない。
しかし、よく考えると、母にあるのはプライドだけで、中味がないのである。
だから、母がわからないことは、すべて潰す。
今も昔も、これだ。



母はどんな人格なんだろう。
なぜ、こんなに、付き合いにくい人なんだろう。
なぜ、こごまで、極端なんだろう。




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